伊藤文夫(鉢の子窯)公式ホームページprofile of 伊藤文夫(鉢の子窯)公式ホームページ




          伊藤文夫

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略歴
1955年  福島県須賀川市(旧長沼町)に生まれる
1974年〜 美濃で修業を始め、その後八丈島・(故)青木正吉、唐津・中里 隆に師事
1980年  郷里に薪窯を築く
      焼締、粉引を中心に作品は県内はじめ東京、横浜、静岡、大阪、仙台、那
      須、山形などで個展にて
      発表する。
      その間、何度か韓国、タイ、ミャンマー、ラオスなどアジアの窯を視察する
2011年  喜多方市美術館にて個展


CSC_0772.jpg「素に還る」

山間の故郷に窯を築いて三十年が過ぎた。十代の終わりから二十代の前半、岐阜、東京、八丈島、唐津と転々と暮らした。あの頃流行りだったヒッチハイクで、北海道から九州まで旅をしたり、南アルプスの山々も一人で幾度も登った。自分の中に何処か根無し草のようなものが存在している事をむしろ気に入ってもいた。陶工という、窯を据え地面に根っ子を生やしていくような生き方に半分は違和感を感じたが、憧れもあった。高校三年の時、この道に踏み入れる切っ掛けとなった、裸電球の下で轆轤を廻す職人さんの後姿は禅僧の如く映って、今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。芸術とは程遠い感性や創造性の鈍い少年が、何故未だ足を洗えずここに踏み停まっているのかは不思議だが、火や土には元来生死と直結したものが内包されているからかもしれない。大震災のあった此の春、もう一つ、私を震撼させた事件があった。それは茨城県陶芸美術館で催されていた中世の焼物の大展覧会である。大半が壷だったが、どの壷も見てもそれらは自然の木や石や草の如く只そこにあるだけだった。然も数百年間土中にあったり、風雨に晒されたりしていたにもかかわらず、絶大な存在感と、高い品格を保持して・・・。「木や石や草の如く只そこにあるだけ」という事がどれ程尊く凄い事かは、長い時間土と向き合ってきて心底感じる。現在の我々の仕事がそのプロセスを考えても、如何に我臭を消し去り難いか。もしも社会がその臭みを個性と混乱して希求したり、芳香と悪臭を嗅ぎ分けるこちら側の能力に大きな問題があるとしたらそれはとても危うい話である。便利すぎる道具の発達とは逆さまに、火を観る力や土のエネルギーを感じる力も加速度を増して鈍っているような気がしてならない。千年も昔の焼物に絶大な力が宿っているのは、一個の器が出来上がるまでのあらゆるファクター、窯、火、土、薪、気候風土等に対して、当時の陶工には精妙に微細に心を配れる感性と智慧と謙虚さがあり、それゆえ神仏の加護と言っても過言ではないような力が働いていたせいではないだろうか。ともあれ、今の我々から見たら当時の人間は全員が超能力者だったのだ。目に見えるものは形と色とマチエールぐらいである。だが、目を閉じても残像として伝わってくるものがある。屹度それこそが、そのモノ自体の本質であり正体なのだ。焼物からたえず放出され伝わってくるものとは何だろうか。温かさとか、力強さとか、静けさとか、哀しさとか・・・。そうしてみると、人の心の奥の奥まで届いてくるものとは、そんなシンプルな情感だけではないかとあらためて思う。使用目的の曖昧な現代、大壺など作って個人がどこまで突き抜けて行けるかは未知数ではあるけれど、只自分の心の赴く方向へ嗅覚だけを頼りに歩むより他にはない。